井伏鱒二

世界の釣りと旅

山椒魚

釣りと文学 井伏鱒二


井伏鱒二


 井伏鱒二という作家もまた、たくさんの釣り文学を残しています。当然ながら、井伏鱒二自身、釣りを愛好していました。


 「川釣り」という有名な随筆集があります。読みやすい作品なので是非一読してください。



 その他、井伏鱒二の作品で有名なのは、「山椒魚」でしょう。岩屋の中でじっとしていた山椒魚が、二年経った時に岩屋の外へ出ようとしたところ、頭がつかえて出ることができない。二年の間に成長していたものだから、頭が出口より大きくなっていたのです。外界に二度と出られなくなった山椒魚は、自らの運命を呪いますがどうすることもできません。岩屋の中で無為に日々を過ごすのみです。そこに一匹のカエルが飛び込んできます。山椒魚は出口をふさぎ、蛙を自分と同じ運命に置いてしまうと云う話です。



  




        



          
 
 この話とそっくりな話が、井伏鱒二の作品にもう一つあります。それは、「幽閉」という小品です。


 物語の設定も、登場する主人公も「山椒魚」と同じです。つまり、岩屋の中で二年を過ごした山椒魚が岩屋から外に出られなくなった話です。違うのが、蛙が登場するかどうかというところです。

 「幽閉」蛙が登場しません。小エビが出てきますが、それは「山椒魚」にも出てきます。山椒魚が暮らす岩屋の中に小エビが紛れ込み一夜の宿を取ります。

 幽閉の身で外界に出ることを諦めていた山椒魚は、思いがけない訪問者のエビを食べるのでなくそっとしておいてやる方を選びます。

 しんと更けていく夜の闇の中で、山椒魚は「兄弟、明日の朝までそこにぢっとして居てくれ給え。なんだか寒いほど淋しいぢやないか」とつぶやきます。

 「幽閉」という話はここで終わります。

 「山椒魚」ではこのあと蛙が登場します。



 二度と外には出られなくなった山椒魚はひねくれ意地悪になり、蛙を閉じ込め自分と同じ境遇においてしまいます。蛙と山椒魚は互いをなじり合い、憎しみ合います。そうやって月日が過ぎて行くうちに罵り合うことさえしなくなり、互いに無視を決め込みます。

 山椒魚は絶望の嘆息を吐きますが、その音を蛙に聞かれないように気をつけていました。それは蛙も同じでしたが、ついに蛙は大きく嘆息を漏らし山椒魚に聞かれてしまいます。

 山椒魚は自分と同じく前途を絶望している蛙に友情さえ覚えて、岩屋の上部に身を隠している蛙に、もう降りて来いと声をかけます。しかし、蛙は既に弱っておりもう動けぬのだと言います。

 自分の行動がここまで蛙を追い詰め、終わりの時を迎えたのですが「おまえは今どういうことを考えているのか」と山椒魚はたずねます。

 その問いに対して蛙は、「今でも別におまえのことを怒っていないんだ」と答えるところで物語りは終わります。

「幽閉」から「山椒魚」の間に作者の上を流れた時間が感じられますね。岩屋に閉じ込められた山椒魚と蛙の上に流れたのと同じ時間が、作者の中にも流れたのでしょう。短い作品だけれど、「山椒魚」は日本が誇れる名作だと思います。



 この二つの作品のほかにもう一つ紹介したいと思います。

 それは、「鯉」という作品です。

 井伏鱒二が若いころの話ですが、友人の青木南八に一匹の真白い鯉をもらいます。若い井伏は友人の厚意に感謝をし、今後決してこの鯉を殺さぬと誓います。それから二人で下宿の庭の池に鯉を放ちますが暫くしてから井伏は別の下宿に引っ越します。

 引っ越した後、もとの下宿の池に戻り8日間かけて白い鯉を釣り上げました。しかし、次の鯉の住みかに困って青木南八に相談します。君の愛人の家の庭の池に鯉を放させてもらえぬかと。

 二人は青木の愛人の家の池に鯉を放ちますが、それから六年した後、青木南八は死んでしまいます。葬儀が済んだ後、井伏は青木南八の愛人の許しを得て、彼女の家の池で釣り糸を垂れます。一日かけて釣り上げた鯉を今度は、早稲田大学のプールに放します。

 その後、幾度となくプールに通い学生たちが泳ぐ様を見ながら鯉を探しますが、ついに鯉は姿を現しません。死んでしまったのかとも思いました。ある夜、あまりの蒸し暑さに一睡もできずにいた井伏は、澄んだ空気を吸おうと明け方の戸外に出掛けプールにたどり着きます。

 そこで彼が見たのは、水面近くを悠々と泳ぐあの白い鯉でした。しかも鯉の後に幾ひきもの鮒と、幾十ぴきものハヤとメダカが付き従って泳いでいるのでした。

 冬になるとプールに氷が張り、氷の上に雪が積もりました。井伏はその雪の上に竹竿で大きな鯉の絵とそれに従う小魚たちの絵を描いたのでした。

 「鯉」という話はこれで終わりますが、この話のどこまでが実話でどこからが創作なのでしょうか。あるいは全て実際にあった事なのでしょうか。学生たちが泳ぐプールの中で、白い鯉が見つからずに生き延びるとはちょっと考えにくいのです。やはりこの話は途中から作者の創作が入ってくるのではないかと思います。

 私はこの「鯉」という話と「幽閉」、「山椒魚」という二つの話とに共通点を感じます。

 まず、山椒魚も蛙も鯉も捕らわれの身です。限られた狭い空間から出ることができません。彼らはやがてそこで死という運命を向かえねばなりません。

 人の一生というのは思うように行かないことも多く、行き詰まった時に人は運命を呪います。ちょうど山椒魚や蛙のように。

 井伏鱒二も作家としての人生のうちで何度も行き詰まったに違いありません。その時彼はこの世の運命というものを恨めしく思ったのでしょうか。文豪の心情と凡人である私のそれはだいぶ違うだろうから、私のお馬鹿な勘違いかも知れませんが、山椒魚も蛙も鯉も、人として苦しんだ井伏鱒二自身ではないでしょうか。

 物語の中で、両生類や魚類のおかれた立場に自分を重ねることで、なんらかの解決の糸口を追求していたのでしょうか。



 この三つの物語が書かれた順番はどの様だったのでしょうか。こんな文章をホームページに載せようというのに、私は不勉強で知りません。勝手に想像しますには、
@「幽閉」、A「鯉」、B「山椒魚」の順番ではないでしょうか。


 なぜそう思うかといえば、「幽閉」の山椒魚は運命を受け入れるまでに成長し、「鯉」の白い鯉は、与えられた運命の中で悠々と泳いで人生を満喫し、「山椒魚」の中で山椒魚は苛酷な運命にひねくれながらも傷つき、ついに蛙は「今でも別におまえのことを怒っていないんだ」と死ぬ直前に許します。



 蛙が最後にたどり着いたのは、山椒魚に対する慈悲というよりも、理不尽な運命や自分や山椒魚を含む全てを受け入れることができる境地だと思うからです。


 むろん、井伏鱒二はその後もずっと長生きをしてたくさん作品を残していますから、更にその心情は深いところまで辿りついたことと思います。

 私の浅薄な読書力で考えたつまらないことを書いてしまいました。勝手なことを書きおると気を悪くされた井伏鱒二ファンの方がいたら御免なさい。

  


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